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2008年5月4日 - 2008年5月10日

2008年5月10日 (土)

披露宴!

夕べ、従兄弟の長男の結婚披露宴へ行って来た。

那覇市古島のマリエール・オークパイン。結婚式専用ホール。

沖縄の結婚式場って、更衣室がないんだよな!非常に困るんだけど。

でも、見つけたね。着替える場所。

舞台裏だ。沖縄の結婚式場は、更衣室はないのに、きちんと舞台裏があって、楽屋形式になってるんだな。鏡も手洗いもあるしな!待合いロビーは五月蠅いので、舞台裏で従兄弟と飲んでと。

いざ、結婚式。

と、その前に、去年の7月に後輩の結婚披露宴。那覇のハーバービューホテル。皇室も宿泊する由緒あるホテル。

那覇までマイボールを仕入れに行って、一向にボウリングが上達しない青年も一緒だった。

こいつは宮古空港から既に礼服。して、肩には大きな青色のバック。職場の余興の道具でも入ってるんだろうな?と思ってたんだな。

二次会にそいつだけ来ないんだ。ボーリングに行ったらしいのな。あのバックは、マイボウルとマイシューズ。若いのは全員誘われたらしいんだけど、全員に断られて。仕方なく一人でボウリングに行ったって。

気持ち悪いだろうな?礼服着てボウリングど!昨日の話に戻ろう!

さて、新郎新婦の入場。ファンファーレが高らかに鳴り響いて・・・。

違うんだな!暴れん坊将軍のテーマソングに乗って、件の長男登場。頭部のみ馬の着ぐるみを付けた友人の肩に乗って、従者を伴って入場。

舞台真ん前に到着すると、腰にぶら下げた模擬等で、馬及び従者を斬り捨て、舞台で待つ嫁を迎えに行く。どんな演出?いいのか、友人を斬って・・・。

通常、那覇で行う結婚式は2時間で終わるところを、3時間を過ぎた頃にようやく終了。

新郎が謝辞を述べて披露宴は幕を閉じる。

ここで新郎。まず、嫁の両親に挨拶。

こいつは、親に断りもなく入籍した後に、両親に挨拶に出向いた。謝辞の中で、その非礼を詫びる。そうそう!大人になってんじゃん、お前。

詫びを入れた後に、てめーの疑問を両親に問いかける。

こんな僕みたいな人間に娘をくれて良いんですか?

今更、言うことか、お前?それも、披露宴の最後にさ!

全力で幸せにします!と決意表明をして挨拶を終了した。

いや、なかなかの謝辞だったぜ!大人になったなあ、あいつ!

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総員退避2!

さて、身の毛もよだつ沖縄戦の話は終わろう!

全員、堆肥を提出せよ!

皇国日本は非常事態にある。おのおの家庭から金属を提出せよ。鉄砲や爆弾を造るのだ!

違うね!堆肥。家畜の糞尿と枯れ草を発酵させて、肥料としたものだ。

困った!うちは、家畜がいない。幼稚園までは、豚もアンガスも居たのによ!

大変なのだ。親戚に貰いに行くのが。農家にとって堆肥は貴重で、そうそう分けてはくれないのだよ。

難儀なんだな。バケツ1杯と決められている。学校の花壇の肥料にするんだとよ!

緑化コンクールの副賞だと思うんだけど、樹木の苗を貰ったので裏山に植えようって魂胆なんだな。

凄いよ!樹木の苗。

楓と銀杏!

よほど、日本に憧れてたんだな!毎年、5月になると、沖縄を返せ!の行進隊がやって来るんだもんな。

大騒ぎで植え付けられた苗。2年ほどで全て枯れ木。気候が合わないだろがよ、全く!

当時は堆肥提出のほかに、芝生提出というのもあった。

学校緑化コンクールで全琉1位という輝かしい実績を誇るわが宮島分校。緑化に余念がない。

芝生はねえ。島尻の入り江近くの通称「爆弾の穴」附近にわずかに生えている。分校生徒全員が取ると、あっという間になくなる。仕方なく、狩俣の西平安名崎まで取りに行く。

昔は、学校自体が自然破壊を行っていたのだよ。

なので、自然を大切にしましょう!って、今更言われてもなあ。

そんなこと、教わってないもんね!

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2008年5月 9日 (金)

総員退避!

適が迫っている。友軍の支援は期待できない。おのおの手近の避難壕若しくは蛸壺に退避せよ!

緊急事態だ!

最近、古い書物を読んだ。1958年6月号の「丸」という名前の本で戦争経験者の寄稿文を元に構成されている。特集「沖縄をめぐる陸海空大決戦の全貌」

沖縄戦当時の米軍司令官の体験記や、日本軍の生き残りの戦争談。学徒動員で参軍した話。当時、警察官だった青年の経験談。

その中の一節に以下のような書き込みがある。当時、那覇警察署副長で丸6月号発刊時に琉球政府立法院議員の山川泰邦氏の原稿。タイトルは「地獄の南部戦線」サブタイトル「那覇警察隊の記録」

紹介しよう。

命からがら逃げ込んだ糸満の壕の一節。

さいわい隣部落の阿波根に大きな自然洞窟があったので、これにもぐることにして、5月16日に出発した。

この自然洞窟はおよそ幅三間に、奥行き三百米もあったが、既に数百名の住民がいたので奥の方でなければ空きはなかった。

(蛆と兵隊)

阿波根の岩かげや、墓の中には傷兵が一ぱいいぎたなく横になっていた。彼等は、艦砲の止むひと時(米軍の食事時間)を利用して時折り壕の中から這い出し、陽なたぼっこをしながら、自分で傷の手当をしたり、虱退治に余念が無かった。

陽なたぼっこをしている傷兵には種々様々な者がいた。

片足の無い者、片目のつぶれた者、顔面をえぐられた者、腿の傷に蛆を養っている者、まるで妖怪の集まりであった。傷口に蛆の湧かない者は、分けて貰って自分の傷に移した。

蛆が膿を吸うところを見ながら、傷兵たちは「とても気持ちがいい、先刻まで痛くてたまらなかったが、ウジ様をお迎えしたら、痛みがとれた」と喜んだ。

気持ち悪い話だろ?

さて、退避だ。逃げんと!

明日ね!

逃げよう!

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2008年5月 8日 (木)

バタラズ入り江再生計画!

計画ってほどのものでもないんだけどね!

現在の入り江は、干潮時に完全に干潟になるさーね。これでは、いけんのだよ。

生態系の為には干潮時でもある程度の海水が残るような状態じゃないとさーね。

じゃー、どうするか?

溜まった泥をかき出すためには、浚渫を行う必要があるんだけど。

通常の浚渫は、グラブ船という、巨大な蟹の爪のようなバケットを持つ起重機船で行う。平良港に停泊している起重機船は、その能力が6~9立方メートル。バケット一回で10tダンプに積みきれない量の土砂を浚渫できる。起重機のクレーン能力は300トン。

この起重機船はある程度の水深がないと座礁する。なにより、入り江入り口にかかる橋が邪魔で入り江内に侵入できない。

次にバックホウ浚渫船。残念ながら宮古島に存在しない。

では、ポンプ浚渫船。海水と泥を掃除機のように吸い込んで浚渫を行う。沖縄本島中城湾港の浚渫で使用された。これも、大きすぎて入り江内に侵入できない。

じゃー、どうするか?

そう。打つ手は無いんだ。残念ながら。

水門を閉め切ったことにより、20年の歳月と自然の力で堆積した泥は如何ともしがたいのですな。実に!

そこでだ!

自然は自然にまかすのだよ!

えーー、大雨を待つんだ。それも、大潮の干潮時に集中豪雨となるような大雨を!

大雨が降ると、入り江上流の地表の雨は入り江に流れ込むさーね。それが濁流となって泥を一気に押し流して、水路ができるはずなんだな。

昔の入り江は、長い年月によって、濁流とも土石流ともつかない流れで水路を形成していたんだな。

ま、この場合、濁流で泥が外海に流されるので沿岸域は盛大に汚れるはずなんだ。できれば、モズクの操業時期を外れた、5月から11月までに大雨になると水路が形成できるはずさーね。

現在の橋を架け替える為に撤去された水門が無くなって、約3年。あれから、大潮の干潮時と大雨が重なっていないということだ。今年辺りは、台風が多く発生しそうなので、そろそろ入り江に溜まったヘドロが外海に吐き出される頃合いだ。

大雨。不安でもあり、ちょっとワクワクでもあり。

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2008年5月 7日 (水)

貸し出しパンダ!

ええい!3本目だ!

大熊猫。ジャイアントパンダだ。大きい熊で猫のくせに笹しか喰わない、超わけわからん生き物。

貸し出している中国でさえ、前世紀初頭まで白熊と思っていたパンダ。パンダの名前も外国につけてもらったもの。欧米諸国でパンダブームになって事の重大さに気付いたってのが間抜けだよな。

中国南部からベトナム付近まで分布してたらしいのが、欧米人が珍しがって乱獲したために、中国だけに生息することになった悲しい生き物。

そりゃー欧米人は欲しがるよな。イエスかノーか?白か黒か?はっきりしろい、てやんでえ!って、民族だものな。

曖昧さが売りのはっきりしない国民、日本人。ツートンカラーで思い浮かべるのはパトカーさーね。ほんとに欲しいのかい?福田さん!

そもそも何だよ?貸し出しって!図書館の本か?

ワシントン条約で売買が禁止されてるから貸し出しって言ってるんだろうけど。

じゃーさ!借りた物は返さんといけないさーね。

図書館で借りた本を返さないで、次の本を借りようとしたら、変なおばさんに叱られるさ!

まずは、借りたパンダを返さんと!

民間人なら、借りたもんは返せや、こら!って、ヤー公にサルベージかけられるど!

その辺の事も知らないでコキントー!また貸しますって!

福田さん!コキントーが来ない前にパンダ死んじゃったから、先ず返しとかないと。今からでも遅くないから、国に帰るコキントーの飛行機に積んどけ。死んだパンダ!

今、返さないと、何となく知っているかも知れないコキントーが北京五厘の後にクレームつけてくるよ、きっと!

ちなみに五厘は、メートル法に換算すると約1.5mm。百分率だと0.5%!

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ささぎ!

近く結婚式がある。従兄弟の子供。

従兄弟も同じ建築仲間で、那覇で働いている。従兄弟は、現場の達人で、管理する建築現場は完璧。

でもね、こいつは2年前に免停になった。シートベルトの無着用を6回も繰り返し、晴れて免許停止。

その従兄弟の長男の結婚式。この長男もなかなかど!

こいつは開校間もない東小学校の玄関ドアをすり抜けた経験を持つ。優待離脱じゃないよ。リアルにガラスをすり抜けた。玄関ドアのガラスは粉みじん。して、本人は血だらけ。はい、救急車!

長じて、あわや生命の危機に瀕している。

北県営母子クリニック前の道路が工事中の際、坂道でカーブを曲がりきれず、移転の対象となった解体中の家屋に突っ込んで、むき出しの鉄筋に右脇腹を貫通。幸いに臓器を傷めることなく、傷口を縫合した後、大きな絆創膏を両面に貼り付けて帰宅した。

折しも、従兄弟の家のスラブ打ち。酔っぱらったおじさん達に冷やかされながら飯を食う。

偉いぞ。お前!なかなか出来るもんじゃねえぞ、自転車の居眠り運転なんて!

頭を掻きながら、照れくさそうに飯を食う。

その後、高校入試。

試験会場でメンチ切られたことから大喧嘩。双方血だらけになり引き分け。受験は不合格。

そりゃーそうだよ。試験受けてないんだもの。

こんな子供が結婚する。今は、大人になってるから良しとしとくかな!

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青酸カリ漁!

当時バタラズ入り江で、秘密裏に行われていた青酸カリ漁!

ある特殊なルートから入手された青酸カリを入り江上流の淡水域に流すと引き潮にひかれて入り江全体の魚が死滅する。

青酸カリ漁は、秘密裏に行われるものの、子供達の情報網は鋭く、操業の日程をほぼ特定できる。

爆弾漁、青酸カリ漁ともにブツの入手ルートは南静園だった。大人達の会話に聞き耳を立てていると爆弾を入手する相談をしてるのが解る。爆弾は、不発弾の信管を取り外し、中の火薬を売り渡す。

売り渡された火薬は、一升瓶に入れられ畳間の隅に置かれていたりした。

青酸カリ漁は、時間との勝負。

引き潮に合わせて青酸カリをまいても、大潮の満潮時にまいたのでは、水深が深すぎて魚を捕るのに泳がなくてはならない。なので、水深を見計らってまくのだと思う。

だって、子供達が気づく頃には、干潮となり、わずかに残る水面におびただしい魚の死骸が転がっている。夏場だと、魚が傷むのでやはり時間との勝負だ。

子供達が気づく頃には、漁は終了しており、一味も現場から逃走した後だ。

子供達は、既に絶命している魚を捕ることはない。絶命しているのは、毒を大量に摂取したために体内に毒を含んでいる。誰かが言い出したことなんだけど、説得力あるさーね!

なので、千鳥足でよろよろと泳ぐ魚を見つけて採取する。

現在では、青酸カリが入手できなくなったので、ブリーチ漁が密かに行われている。洗剤の漂白剤を珊瑚礁にまいて、魚を捕る。

海岸端で大量のブリーチの容器を見つけた場合は、すぐに警察署に通報して下さい。違法な漁であるうえに、立派な自然破壊です!

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2008年5月 6日 (火)

一本捕り!

さて、一本捕りだ。

入り江の塩田跡地が漁場。当時は、泥もなく、ほぼ砂地でマングローブも皆無。

カニ類はテリトリーがあり、生意気にも家をこさえている。陸地と海の境界の岩場に穴を掘り、その中に潜んでいる。穴の長さは約1m。こいつ等は危険を感じると穴の奥に逃げ込む。こうなると時間をかけないと捕れない。

一応エラ呼吸なので、穴入り口付近を掘り下げ、海水を溜めてその窪みに浸かっている。怪しい物音で奥に逃げ込むので、極力足音を立てないように巣穴に近づく。

巣穴に在室しているか、否か?は、掻き出された砂で判断できる。干潮のたんびに干上がるために海水を溜める池を造らないといけない。なので、砂を表に運び出す。

そっとのぞき込む。

すると、さすがに蟹。学校行ってないだけあって、頭が悪い。水たまりの池に潜んでいるものの、様子を窺うために、目だけを水面に出している。ばればれど、お前。

ここで持参した棒を穴に差し込んで目と目の間の水を押しつけると、バルタン星人のような鋏が飛び出してくる。

後は、こいつが穴の奥に行かないように必死に邪魔をすると、穴の奥に行けない!と、判断した蟹が自分で巣穴の外に出てくる。広い場所に出れば捕まえて袋に入れて一丁上がり。3匹も捕ればOKだ。

一度5匹捕って偉い目にあったことがある。のこぎりガサミはでかくて鍋に入れてもせいぜい2匹まで。通常は1匹ずつ茹でる。5匹の場合、茹でるのに鍋を最低でも3回変えないといけない。

茹でるのが難儀なので、そのうちに捕らなくなったんだな。

今はねえ、結構居るよ、あいつら!マングローブの下で簡単に巣穴が作れるので楽園なんだな。でもねえ、人間はマングローブの林に入れないんだ。密集しすぎて。

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2008年5月 5日 (月)

一本捕り!

底なし沼に嵌り、風前の灯火と化した俺の命。助けて、ドラえもん!

だいたいねー、こんな底なし沼にしたのは誰なんだよ?ぼけが!

土地改良事業か?

いえいえ、そうではありません!

うちの馬鹿親父だ!

こいつがこさえた水門により、20有余年の間、海水が出入りしなくなった為に、泥が盛大に溜まっただよ!どうしてくれる?

水門が設置されるまでは、大雨のたんびに泥は外海に吐き出されたんだ。で、水門を閉め切ったために常に小潮の館長状態となって、溜まった泥が厚すぎて、マングローブの胎生種子もすぐ下で着床して、かくも密集したマングローブ林となったんだよ。

最近では、増えすぎたマングローブ林を保護して文化財に指定しようと言う動きになる始末。いいのか?ある意味、自然破壊ど!

近くのマングローブの根っこを掴んで脱出を試みるも、いかんせん、マングローブの根っこ。柔らかすぎて折れてしまう。

じゃーと言うことで枝ならどうだ?でもね、届くのはわずかに指先だけ。人差し指と中指で葉っぱを手繰り、続いて枝だ。最後に幹。指の筋肉が攣るぜ!

何とか脱出に成功した。

成功したのは、体のみで、靴は1m下の泥の中。この際、靴は捨てよう。靴のために命をかけてもなあ!

一本捕りは明日だ!

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2008年5月 4日 (日)

一人環境破壊!

ガサミの一本捕り本編です。

フィールドは、島尻バタラズ入り江。バタラズは訳すと「渡る瀬」だはず。那覇の明治橋辺りの名称も「ワタンジ」。そんなに那覇の方言と変わらんど!

現在の橋は、近年架け替えられた。それ以前は、当方が小学校低学年当時に築造された。

バタラズは、総面積17haの入り江。当時は、橋より遡る付近に、古い橋の橋脚の辺りまでは、ほとんど干潟。マングローブは生えてない。

橋脚を過ぎて、右の小さな円形の入り江は、塩田の跡地で、狭まった箇所に水門。円形の干潟のあちらこちらに、海水を濾過するコンクリートの水槽が点在していた。

左側の小島の奥も干潟で、この干潟は泥ではなく、砂地。高さが80cmくらいになる蟻塚のような小山が無数にある。これは、ヤドカリの一種の住処。ヤドカリといっても、ほとんどエビの形で、見た目は謎の宇宙生命体。

入り江中央は、いいだあ橋を境に、上流は淡水域となる。淡水域はその源流を南静園西側に求めている。

当時は、バタラズの橋からいいだあ橋まで、徒歩で歩くことが出来た。

現在の入り江は、もやしのように無数にはえたマングローブに覆われている。

わずか30有余年の間に、かくも変貌を遂げたバタラズ入り江。

入り江は全体に渡って、上流より流出した泥に覆われ、歩くことは出来ない。原因は、土地改良事業の進展により、真っ平らになった畑から表土が流れだし、入り江に堆積したことによる。

平成5年に、ガサミの一本捕りに出かけた。橋のたもとに車を停めて、2m程の棒きれ1本を持って歩き出す。漁具は、この棒きれ1本のみ。これで面白いようにガサミが捕れる。

当時の記憶を頼りに入り江を歩き出す。

しかし、泥の層が厚い。子供の頃は膝までだったのに、大人になっても膝までだ。泥も当方も成長するのだな。くらいの気持ちが命取り。

あっという間に、腿まで泥に嵌ってしまう。右足を引き抜くために踏ん張ると左足が右足のそれより深く嵌る。もがくうちに、腰まで泥に嵌る。最早身動き出来ない。動かざること、馬鹿のごとし!ってやつだ。

塩が満ちてくると、運が良ければ首の付近まで。悪ければ水没して溺死。最悪なことに大潮。運が悪いよ、ちっくしょー!足首を死に神に握られている。

どうしよう?

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