« 2008年6月15日 - 2008年6月21日 | トップページ | 2008年6月29日 - 2008年7月5日 »

2008年6月22日 - 2008年6月28日

2008年6月28日 (土)

日本沈没!

2年ぶりに日本沈没の監督と飲んだ。

夕刻6時スタートの飲み会。場所はミュージアム石釜。

シネマパニックの支配人が買い出し班でかい出した品物は以下のとおり。

米がまず間違い!無洗米だ。

洗おうよ!米ぐらいさあ。まずいというかコクが無いんだよな、無洗米は。あと微妙に発芽させてビタミンが摂れます!なんていう米も炊きあがりが黄色いし、いまいちなんだな。安いのでいいから普通の米がいいねえ。薪で炊くと銘柄関係なしに美味いんだ!

石釜で焼くのは、鳥の丸焼き、豚の皮付き三枚肉、牛ロース(潰したて熟成なし)。

一番人気は以外にも鳥!あっという間に無くなった。続いて豚ね。石釜でじっくり焼くので余計な脂が全部抜けて脂がゼリー状になってるんだ。で、皮はパリパリでさ!

次からはメイン料理は豚肉だな。

監督、エバンゲリオンなんたらのスタッフと一緒だったけど、ひでおさんを含めて、うちらエバンゲリオンを知らないからねえ。

監督、今度来るときは豚の丸焼きをしよう!あとピザね。

| コメント (1) | トラックバック (0)

あさひくるまえび養殖場2!

目指す袋を探しながら倉庫に入る。相変わらず真っ暗。床と言わず壁天井まで黒い。

幾分目が慣れたところで開封済みの袋を発見する。

右手で掴んで入り口に向かう。

と、何やら右腕がもぞもぞ。むずがゆいようなこそばゆいような・・・・・。もぞもぞが肩の部分に迫ってくる。外に出たところで血が泡立ち、全身の毛が逆立つ。

右腕が真っ黒だ!

右腕が無数のゴキブリに覆われている。

声にならない声を発しながら袋を放り投げて右手を振り回す。あわわあわわわわ!

死ぬかと思った!

身体にとりついたゴキブリを振り払う。放り投げた袋からは四方八方にゴキブリが這いだしている。地獄絵図だ。震えが止まらない。

暗い影と思われたのは床・壁・天井を埋め尽くした何十万というゴキブリだったのだ。

しばらく袋に近寄れないでいるところで我に返る。

そうだった、袋を持って行くんだった。でも、近寄る勇気がない。手近なところで2m程の木の枝を拾い離れた場所で袋をぶっ叩く。

途端に残ったゴキブリが這い出てくる。出来るだけ遠くに避難。これを何回も繰り返す。袋がぼろぼろになるまでぶっ叩いて中にゴキブリが居ないこことを確認する。

自転車の荷台に載せる勇気もなく、ロープを探して袋の口を結び引きずって行く。

バタラズでせいちゃん兄弟に抗議する。ゴキブリだらけだったじゃないか!

いや、普通ゴキブリくらいどうってことないだろ?

心の準備ってものがあるだろ!何だよ、あの数は!

それまではゴキブリを嫌いと思ったことはなかったんだ。むしろ何匹か溜まっている場所を発見するとゴムではじき飛ばしたりして結構楽しかったんだな。

この一件以来、ゴキブリが超苦手となってしまった。とにかく怖い。見るのも無理。ゴキブリの足音が聞き分けられるくらい苦手になった。道路にゴキブリがいた場合、通るのを諦めて迂回する。

飛び回っている場合、条件反射というかフラッシュバック現象で全身の血が泡立つ。して、なんであいつらは人間に向かって飛んでくるかなあ?それも額めがけて!

ゴキブリの居ない高地若しくは寒い国へ行きたいなあ!

| コメント (1) | トラックバック (0)

あさひくるまえび養殖場!

下の文が短いので明日掲載予定の記事を載せよう!

現狩俣中学校の北側に20haに及ぶ広大なあさひくるまえび養殖場。

学校の帰り、この養殖場の事務室によって冷たい水をもらうことを日課としていた。

この養殖場の関係者が当方の建築の師匠の、せいちゃん兄弟。

当時、始まったばかりの養殖場は現在のような大きな池ではなく大小2個の池で実験的に進められていた。

せっかく養殖している車エビを白鷺に捕られることから白鷺を追い払うバイトをもらった。一日追い払って2千円。

ほぼ運動場ほどの大きな池に白鷺が飛んできて車エビをついばむ。追い払う方法は鳥に向かって石を投げる。

でもね、この馬鹿白鷺。岸で石を投げる当方からちょっと遠ざかったところに舞い降りる。

こうなると鳥の移動距離は20mくらいでも、当方は池を半周して反対側までダッシュして石を投げなければならない。

2時間でへとへと。一人で行う仕事ではない。全く無意味だ。鳥、好きなだけ喰え。どうせバイト代は変わらねえ!

しばらくして休日。

せいちゃん兄弟と釣りをすることになった。フィールドは言わずと知れたバタラズ入り江。食いつきが悪いので養殖場まで餌を取ってくるように言いつけられる。

こちとら子分のうえにパシリなので自転車漕いで養殖場にダッシュ。

倉庫に空いている袋があるから!

言いつけどおり倉庫の大きな扉を開く。南に面した倉庫。午後の日差しが倉庫に差し込む。

入り口以外に窓のない真っ暗な倉庫。陽が差し込んだ部分のコンクリートが白い。その他の部分は真っ黒な陰になっている。目指す開封済みの餌袋は奥の部分らしい。

以下明日!

| コメント (1) | トラックバック (0)

2008年6月27日 (金)

日直!

学校が夏休みの間、日直と称して5名ほどが学校に詰めて学校の掃除を行う。

当日の学校の当番は伊良部出身の数学の教師。ちょっと足が悪くびっこを引きながら歩く。ユーモアがあって生徒に大人気の教師。

ひょんなことから学校の見回りを放棄して釣りに出かけることになった。黙っていれば解らない!教職にある人の発言とは思えない。

先生の運転する車に乗って目指すは西平安名崎。午前中で10kgほどの魚をゲット。

学校に戻り米を炊いて、魚の塩煮で昼食。抜群に美味いんだこれが。

誰にも言うなよ!先生の言葉だ。

ごめん!先生書いちゃったよ。言ってないから良いはずね?

| コメント (1) | トラックバック (0)

2008年6月26日 (木)

兎狩り!

兎狩りだ。ヨーロッパの貴族が行う優雅な狩りとは、全然違うけどね!

狩りのメンバーは、当方、コーエー、一個下のマスオの3名。プチ漁業組合が破綻したのでフィールドを陸上に移した。

狩りの区域は島尻集落の東方。宮島小学校!・・・・・学校の兎を狩る!

計画は綿密に2時間で練られ、翌日行動を開始。

前日に学校の警備体制は確認済み。実は、マスオの父が学校の用務員で本日は畑に出かけて夏休みの学校が空になる情報を得ている。

作戦開始前に用務員の動向をその息子であるマスオに何度も確認してスタート。

まず学校の用務員室に出向き、兎小屋の鍵をゲットして兎小屋に侵入する。小屋と言っても3畳ほどはある鉄筋コンクリートの建物なので捕まえるのに難渋する。

兎は捕まえると甲高く鳴く。ぴぃーーーーっ!って。兎は危険な動物ど!耳を持って持ち上げると予想以上に暴れる。して片手で首根っこを押さえて持ち上げると後ろ足で引っ掻く。

うっかり引っかかれようものなら産まれてこの方爪を切ったことのない、きゃつらの爪で引っ掻かれ血だらけになる。まあね、前足は始終穴を掘っているので爪は短いさーね!前足もちょっと危ないけどね。

正しい捕まえ方は、首根っこを押さえた上に背中の丸まった部分を更に押さえつけることだ。

1羽では心許ないので2羽捕まえる。兎は昼間ほとんど穴の中に居るので2羽減ったくらいでは居なくなったことが発覚しにくい。と、考えたんだな。多分。

でも念には念を入れて料理の時間を2週間後に設定する。

2週間後に3名で集合。海岸で兎を焼いて喰う。兎の料理方法は、このブログ開設時の2月1日「密殺仕事人」の兎欄を呼んでくれ!

わらをぶったたく棒で兎を締めて皮を剥いで焼く。ここでマスオが面白がって直火に肉をくべてしまう。たちまち真っ黒になる肉。調味料は海水のみ。

ちょっと苦いけど塩味が効いて美味いんだな!煤だらけだけど。マスオをメンバーに入れたのは失敗かも知れない。

| コメント (1) | トラックバック (0)

2008年6月25日 (水)

新人賞!

6月の5日あたりから、さっぱり付き合いの悪くなったK.takanori!

当方等に内緒で三味線教室通い。本人は内緒のつもりでも、解ってたもんね。俺ら!

去った日曜日が発表会というかコンクールだった。その結果が昨日の宮古毎日新聞に掲載されている。見事、新人部門に入賞。奴の話によれば・・・・。

人を食ったような性格のk.takanori。いっちょまえに緊張するらしい。

前奏を終えて歌い出す。なりやまあやぐ。

でも、さんしんの手が止まる。緊張のあまり譜が飛んでしまう。

仕方なく、あかぺらで進める。最前列に陣取る7名の審査員。そのうちの一人がK.takanoriの師匠って。師匠、弟子のふがいなさに頭を抱えてる。

2番に入ったところで、三味線の音が出る。三味線を弾かない三味線コンクールって?

合格したってさ。おめでと!

盛大に祝賀会。ひでおさんと連絡つかないので二人だけで始めたのに、最終的に7名に膨れあがる。みんなセンサーがついてるな、きっと。

| コメント (1) | トラックバック (0)

大漁!

網を設置する。潮目は引き潮に向かう時間帯。陸から離れ島に向かって網を引いていく。

途中、水深の深い場所で潮に流されて網に絡まり死にそうになる。無事、離れ島まで泳ぎ着いて岩に網を固定。

潮が引ききるまでモクマオウの林で一休み。

潮が引いたところで網をあげる。三枚網の特徴、魚が両側から絡まっている。

捕った魚を水たまりに保管して、離れ島の手前の潮だまりに向かう。逃げ遅れた魚が潮だまりに大量に泳いでいる。

この潮だまりが超楽しい。水深20cmくらいの潮だまりで魚を追いかける。人間は狩猟民族だなって思うもんね。動いてる物は本能的に追いかけるね。

三名できゃーきゃー言いながら魚と鬼ごっこ。ひとしきり追いかけると魚は潮だまりの岩場に頭を突っ込んで隠れるさーね。

でもね、学校に行ってない魚の悲しさ。頭は隠れても尻尾が見えてるんだ。手掴みで次々とゲットしていく。ある程度、捕獲した時点で本日の漁は終了。

モクマオウの林に戻って魚を焼いて喰う。喰いきれない魚は天日で干して不漁時に備える。この生活を2週間続けたところで漁は中止された。

破れた網の修理を行っているところをお袋に見つかってしまう。

お袋は朝早くから飯も食わないで家を出て行く馬鹿息子の行動を不審に思い、こっそり後をつけてきてたんだ。一日2食、朝昼と魚を焼いて喰う生活。とっても楽しいんだ。

結局、網を盗んだことがばれて沿岸漁業は破綻してしまうんだな。黒字倒産だ!

さて、明日は兎狩りの話をしよう!

| コメント (1) | トラックバック (0)

2008年6月24日 (火)

何から行くべかな?

さて、本編に戻ろう。

何しろお馬鹿な中学二年。ネタは腐るほどあるのだよ!

まずは、沿岸漁業だ!

同級生のコウエイと一個下のマスオの3名で網元を結成した。網元+漁民なんだけどね。

夏休みに入ってすぐに島尻漁港のビダ海岸で連日漁師の仕事を見学する。

刺し網をこさえる場合、3枚網が理想的さーね。3枚網とは、5cmくらいの升目になった基本部分の両側に15cmくらいの升目の網が付いている網。小魚から大型魚までを捕ることが出来る資源枯渇型の鬼の網。

この網に中通しの鉛と浮きを等間隔に縛っていく。縛るには専門の道具に巻き付けたナイロン糸で縫いつけるように縛っていく。完成すると魚の多い場所に網を設置して、魚が腐らない時間を目安に網をあげる。

よっしゃ!理屈は解った。子供でも中学生でもできる!

翌日早朝から行動開始。

3名でビダの漁港に集まって3枚網、重りの鉛、浮き及び必要な6mmロープを所定の場所に移動する。完成した網ではないよ、そんな酷いことは出来ないさーね。

約1km離れたバタラズ入り江の入り口付近のモクマオウ林まで移動する。

ま、移動と言っても、早い話泥棒だからね。少年Aの行う窃盗行為!

さあ、ここから一仕事!

漁に適するように学習した網の作り方の実践。運ぶのに苦労したのはやはり重りになる鉛。重いさーね。比重が馬鹿げてるさーね。ほぼ鉄の2倍。交代交代で運んで腰が痛いよ!

網を加工する道具もついでにゲットしてるから問題はないんだけどさ。

網を設置するポイントは、バタラズの入り江袂にかかる橋から見えない部分にある離れ島と陸の間。その間150m。長いぞ、150mわ!

端の袂に魚が多いのは解るんだけど水深が深いところで約3m。1.5m幅の3枚網だとカバーしきれない。

重ねて、子供だけで漁をしてるとお節介な大人に見つかる恐れ200%だ。

考えた挙げ句に漁港及び橋から見えにくいこの場所が選定されたんだな。

| コメント (1) | トラックバック (0)

2008年6月23日 (月)

戻るんだぜ!

人生の中で一番馬鹿な時期、中学2年に入る前に過去の清算をしとこう!

釣りだ!

その当時、釣り竿なんてものは竹しかなかったんだ。それも店で買うのではなく山で青竹を切ってきて選別し、砂浜に埋めて曲がりを矯正して、更に蝋燭の炎で修正して釣り竿を作ったんだな。釣りに行く1月も前から入念に計画をするんだ。

で、いざ釣り。フィールドはもちろんバタラズ入り江。対象魚はチヌ、ハマフエフキだ。

干潮に家を出る。子供ながらに潮の満ち干きを旧暦で算出する。旧暦の日数に8を掛けて干潮時間を計算する。

バタラズ入り江は干潮時は干潟となっている。その干潟の湧水の部分で餌の小エビを捕まえる。小エビが20匹なら成果の魚はは20匹以上だ。

潮が満ち始めたらポイントに移動して釣り開始。面白いように釣れる。餌が無くなるとゲットした魚の目玉を餌にする。当時の魚はそれでも釣れたんだ。

さすがに目玉は食いつきが悪くて成功率ががくんと落ちる。それでも目玉があるうちは釣り続ける。最終的に目玉が無くなると、貝印のカミソリでゲットした魚を切り身にして釣る。

夕闇迫る頃まで釣りをして、クーラーボックスなんて無かった当時のこと。ススキの葉をエラに通して、ごさくどんよろしく帰宅する。

めちゃくちゃ美味いぞ。小魚の唐揚げは!

| コメント (1) | トラックバック (0)

2008年6月22日 (日)

独立!

中学二年時において狩俣小中学校が分離してそれぞれ狩俣小学校及び狩俣中学校となった。

相も変わらず同じ敷地なのに校長が2人もいるという、このややこしさ!

履歴書を詳細に書くと疲れるぜ!まずがーと書いて見るか。

狩俣小中学校宮島分校付属幼稚園入園及び卒園、狩俣小中学校宮島分校入学(1年から3年)、狩俣小中学校本校(4年)。(宮島分校分離独立)宮島小学校入学(5年)宮島小学校卒業。

狩俣小中学校(中学1年)入学。狩俣中学校入学(狩俣中学校独立)。狩俣中学校卒業。

普通の履歴書に入らないよ、まじで!

宮島小学校も狩俣中学校も当方らは2期生となる。

2年の担任はコータロー。理科が専門だ。注意だぞ。理科と音楽はね!

2年時点で独立した狩俣中学校。またもや学校建設が遅れている。

新制狩俣中学校は現位置で敷地造成のまっただ中。盛大に山を削っている。

結局、独立した狩俣中学校の第1期生である一個先輩達は、新校舎に足を踏み入れることなく卒業した。

とまあ、平良市教育委員会に振り回された子供達なんだな。俺らは!

2年時の主な事件は、恐怖のぱんだる事件。馬鹿親父に関する事件2件。ひょう事件。こんなところかな。

明日からは、この事件を事細かに記していく。特に2番目の事件は中間テストに出るので注意するように!以上!

| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年6月15日 - 2008年6月21日 | トップページ | 2008年6月29日 - 2008年7月5日 »